出典種別 | 被害証言 |
---|---|
現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | 青森 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 1944年、12歳で小学校6年生のある日、校長に呼ばれ、挺身隊に行くと実習が受けられるので行くように言われました。学生や徴用者、女性などが大勢いました。ソウルから釜山を経て下関に到着。女性は、軍のトラック20台に分乗し、富山県の飛行機部品工場に着きました。仕事は雑用で、寄宿舎生活でした。空襲があり、生き残った女の子30-40人はトラックで青森県に行きました。建物2軒があり、1軒は宿舎で、もう1軒は地下1階、地上2階建の慰安所でした。部屋は、ベニヤ板の仕切りで低いベッドが置かれ、毛布とちり紙がありました。軍人達は、豚のように私たちを慰安所に連れて行き、週末も平日にも来て、怖くて泣きだすと殴られ蹴られました。幸いにも病気にかからず、約1 年後、静岡県に行き、昭和天皇の降伏放送をラジオで聞きました。7 ヵ月後に軍のトラックで下関まで行き、釜山からソウルに戻りました。 |
証言者 | 金銀珍(仮名) |
証言者属性 | 朝鮮人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | 強制で連れて行かれた朝鮮人軍慰安婦たち2 |
著者、公文書発信者など | 韓国挺身隊問題対策協議会・韓国挺身隊研究会 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1997.4.22 |
発行所 | ハヌル |
ページ | 237-246 |
出典備考 | |
備考 |
時期と移動経路から、違う都市の可能性がある。 ※日本軍慰安所マップの地点としては反映させていない。
|