出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 千葉県 木更津市 |
資料にある地域情報 | 木更津 |
慰安所があった時期 | 1943年2月 |
記載内容 | 海軍慰安所設置の方針は、航空廠と航空隊の希望とあって、憲兵隊も同調せざるを得なかった。・・・航空廠の一室には、憲兵隊長と総務課長の大佐と常川記者。その他に、常川の計らいで銚子から招かれた売春業者2名が集まり、慰安所設置に関する構想が、憲兵隊長から説明されている。「場所は航空隊及び航空廠から直線3キロを隔てた所で民家の付近を離れること。建物は別紙にあるとおりの2階建て30坪余、15軒であり、使用の部屋は7つ。3畳を最低とする、夜具用品は特配する。1戸に7人の慰安婦を置いて平均常時百名を維持しなくてはならない。出入箇所に憲兵ボックスを設けて、業者は客の所属階級年令を届出る。この届出には泊まりと時間を明らかにし、収受の金額を明示する。衛生用品と用具を備えつける。本年6月下旬までに竣工すること、泊り7円50銭、時間3円として、超過した場合、業者は直ちに退去を命じられる」・・・そうした変転の中で海軍慰安所6戸が竣工して、出入口に憲兵ボックスが設けられたのは年を越した18年の2月となってしまった。・・・兎に角にも海軍慰安所が出来上った。慰安婦たちが待ちかねたように流れ込んできたのは竣工の直とで、1戸に7人から10人が集まり50余名となった。・・・警戒警報や空襲警報の訓練のための演習が行われる中で、慰安所の50名の女たちは、後から後から押し寄せてくる男達に休む暇もなかった。 |
証言者 | 明石清三 |
証言者属性 | |
部隊名 | 木更津海軍航空隊 |
資料タイトル | 木更津基地-人肉の市- |
著者、公文書発信者など | 明石清三 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1957.5.15 |
発行所 | 洋々社 |
ページ | 23, 50-51, 56-57, 77-79, 88-89, 132-133, 154-155 |
出典備考 | |
備考 | 木更津市は東京湾の東岸沿いにある。 |