記載内容 | 私が鈴木楼に行ったのは、昭和16年のことです。私は23歳になっていました。三軒町には、鈴木楼のほかにあと2軒の遊郭があり、女は3人から5人ぐらいの小さな家でした。六軒町は航空隊ができてから建てられたものですが、三軒町は昔からあった遊郭です。鈴木楼には、私のほかにも親に売られて秋田から来た娘もいました。主人は私に『登志子』という名前をつけました。ほかにも『かおる』『絹子』『信子』といった女性がいました。・・・下士官は1日おきに外泊ができ、日曜日に限らず平日でもやってきました。来ても戦争のことは一言も話しませんでした。・・・ただ、兵隊が大勢来た日など、兵たちはぼっそり『明日、敵地に行くんだ』といったものです。そうすると私もついつい慰めてあげたいという気持ちになったものです。あの頃は、こんな商売でもお国のためになるんだと思っていました。1時間2円で、1日10人から12,3人ぐらいがやってきました。一晩に泊まりが5人いて、かけもちで回ったこともあります。いつも眠くて眠くて、朝飯を食べるとすぐに眠ってしまうのですが、すぐにまた起こされて。鈴木楼に行ったとき、私は処女でしたからとても辛かった……口では言えません。でも逃げ出したら家族に迷惑がかかると思うと、それもできませんでした。 |