記載内容 | 終戦の翌年、警察から電話がきたんです。「六軒町で朝鮮人がケンカをしているからすぐに止めにきてくれ」というのです。六軒町というのは、慰安所のあった町の名前です。ここには戦争中から兵隊のための慰安所がありましたが、私はなかに入ったことがなかったので、くわしいことは知らなかったのです。駆けつけたときには、すでにケンカは終わっていましたが、そこにいた女性たちが何やら興奮してわめいているのです。それを聞いて私はびっくりしました。朝鮮の言葉を話していたからです。「あんたたち、朝鮮人なの?」女性たちはうなずきました。私は同胞の女性がなぜこんな所にいるのか不思議に思い、彼女たちに尋ねました。女性たちは、朝鮮の江原道の出身でした。昭和18年(1943)のこと、千葉県の銚子にある缶詰工場に就職させてやるからといわれ、10人でやってきたというのです。しかし、着いたところが軍隊の慰安所で、兵隊たちの相手を強いられたということでした。女性たちは、最初は抵抗しました。1人は、銚子の海に飛びこんで自殺してしまい、なかには逃げた人もいたといいます。そのうち木更津に海軍航空廠ができることになり、女性たちは木更津の六軒町に移されてきました。慰安所が6軒あったことで六軒町と呼んだようですね。彼女たちが入れられた慰安所の管理人は、タカモリと名乗る朝鮮人でした。奥さんは元看護婦の日本人で、慰安婦たちを仕切っていたのは、主にこの奥さんのほうでした。 |