記載内容 | 私の知っている九十九里の軍隊慰安所は、銚子、成東、茂原の3ヵ所です。・・・5月に入ったばかりのある日、私のところに再び憲兵軍曹がやってきました。「ここに慰安婦の名簿がある。このなかから口が固い美人の女を8名選びだしてくれ。彼女たちには、国のため、一役かってもらう。選ぶ方法は、お前の裁量に任そう」渡された名簿には、銚子、成東、茂原の各慰安所にいる60名ほどの慰安婦の名前がありました。このなかから8名を、情報を集める「助っ人」にするというわけです。名簿には、女たちの詳細な情報がぎっしり記されていました。本人の性格、健康状態、父母の名前、兄弟姉妹の名前、家庭環境、教育の程度、父親の職業、父親の借金の原因、そして文章能力と秘密保持能力の如何でした。・・・そこにいた慰安婦の多くは、東北地方の貧農の娘でした。借金の担保として慰安所に売られてきたんですよ。『従軍看護婦募集』という体裁のいい広告でかき集められた朝鮮の娘たちもいましたね。みんな金で縛られているわけです。逃げだしたくても、派手な着物を着せられていますから、逃げることもできませんよ。借金を全額返してやるということで、話はまとまりました。といっても、なかには、自分にはそんなことはできないという女もいましたが、だいたい1人、2百円から3百円ほどの借金がありましたから、借金をきれいに払ってやると、涙を流して喜んだ慰安婦もいましたよ。こうして、銚子慰安所に3人、成東慰安所に2人、茂原慰安所に3人の計8名が決定しました。慰安婦たちのなかには朝鮮女性もいましたが、8人は、日本女性でした。 |