出典種別 | その他 |
---|---|
現在の地域情報 | 東京都 新島村 |
資料にある地域情報 | 日本 東京都 新島 |
慰安所があった時期 | 1945年2月 |
記載内容 | 大島に近い新島の慰安所の慰安婦は、東京の吉原遊廓から向かっていた。・・・吉原のこの憲兵詰所から、組合に昭和19年11月に慰安婦調達がもたらされた。発注の大元は陸軍省恩賞課であった。女郎屋を経営していた恩賞課長は、「これまで無統制な慰安所施設は失敗だらけで、東京に本部を置いて、戦地の慰安所を統制したいから、経験のある吉原業者が仕事を受けてくれ。北京の大きなホテルを接収してあるから、さしあたり3,40人の女を連れていって欲しい。費用は立てかえておけ」と、申し渡した。そのうち戦況の悪化で、この話はおながれとなった。・・・ 伊豆七島守備隊用慰安婦の一件は、敗戦の年の昭和20年に入ってから、警視庁を通して吉原の憲兵詰所にもたらされた。吉原は陸軍恩賞課からの北京行きを見合わせていたから、一度はことわりを入れたが、施設、食糧持ち、前借抜きなどで、女と布団だけ楼主持ちだったから、昭和20年2月に30人の陸軍慰安婦を新島に進出させた。・・・新島行きの慰安婦は、三業組合の旦那衆が竹芝桟橋まで見送りにでており、敗戦後には組合事務長の山田勝男が新島までむかえに出向いた。 |
証言者 | 吉原楼主のM |
証言者属性 | |
部隊名 | |
資料タイトル | 慰安婦たちの太平洋戦争 |
著者、公文書発信者など | 山田盟子 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1991.9.29 |
発行所 | 光人社 |
ページ | 273-275 |
出典備考 | |
備考 | 伊豆半島の南に新島がある。 |