出典種別 | 目撃証言 |
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現在の地域情報 | 大阪府 大阪市 |
資料にある地域情報 | 大阪陸軍偕行社 |
慰安所があった時期 | 1945年 |
記載内容 | 空襲におびやかされながらも必勝を信じていた1945年の私は、19歳。大阪陸軍偕行社に勤めておりました。・・・ここは大阪心斎橋の北詰、大阪で屈指の料亭「播半」を陸軍が買い入れ、将校だけの宿泊所である陸軍偕行社。・・・私たちがおしゃべりをしている時、「なんだ、こんなつまらない所に集まっておしゃべりなんかして」と横顔みせた若い将校がありました。思わず私は胸がドキリとしました。大変に美しい人だったのです。「こんな子供の遊びなんか止めてしまえ。これからは大人の時間だぞ。さあ、ピー屋へ行こう。」みんなをさそうとくるりと向きをかえました。もう一方の横顔がそこにありました。負傷で焼けただれた人間の顔とも思えないような肉のかたまりが。右と左の横顔を持った、部隊一の美男子だったというこの軍人さんはピー屋という所へ出かけていきました。 |
証言者 | 大谷美江子 |
証言者属性 | 陸軍偕行社勤務 |
部隊名 | |
資料タイトル | わだつみの声は わが胸に |
著者、公文書発信者など | どくしんふじん連盟編 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1968.12.1 |
発行所 | 若樹書房 |
ページ | 21-23 |
出典備考 | 大谷美江子「陸軍偕行社」 |
備考 |
播半は大阪市や西宮市にあった。大阪陸軍偕行社に来ていた将校が大阪市内のピー屋に出かけて行ったという証言である。 ※日本軍慰安所マップの地点としては反映させていない。
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