記載内容 | 「お前、ちょっとこい!」見ると見知らぬ巡査でした。そのまま木浦駅へ連れて行かれると、待合室に10人ほどの娘たちが集められていました。・・・翌日、3人の目の鋭い男に監視されて、釜山駅に着くと、そのまま水上警察署で手続きをしました。長崎県の佐世保駅に着くと、海軍のトラックで運ばれました。倉庫みたいな粗末な平屋の建物でした。・・・建物の周りに板塀があって、その向こう側に髪の赤い、背の高い外国人の姿が見えました。戦後にわかったことですが、捕虜収容所だったのです。木造のバラック建てがあって、そこの一室に入れられ、海軍の兵隊たちの相手をさせられることがわかって、私は泣き叫びました。「私は嫌です。夫も赤ん坊もいますから、すぐ帰してください!」それを見た兵隊が、私を動けなくなるほど殴りつけました。「こらっ、お前は金田マス子だ!」私は、一方的に日本名をつけられました。3日目の朝、まだ殴られた顔が腫れて、片目が潰れていました。「お前たちは、銃後の国民として、兵隊さんたちをお慰めする。女房になったつもりで奉仕するんだ!」兵隊が部屋に入ってきたらこうしろと、相手をする方法を教えました。もう妓生さんと同じ、私が一番軽蔑していることをいうんです。恥ずかしくて、頭がぼーっとなりました。1日に30人、それ以上だったかも知れません。 |