出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 鹿児島県 霧島市 |
資料にある地域情報 | 大正館付近、日当山温泉 |
慰安所があった時期 | 1945年2月 |
記載内容 | 701空の5航艦編入が発表された翌日、関根兵長から、「貴様らは、数日中にわしらと一緒に山の上の第2国分基地に移動することになるから、その心算でいるように」申し渡された、(国分に2つの基地があるのか)私たちは初耳だったのでびっくりした。たしか、防通校では、「701空、鹿児島県国分基地」と命じられたはずで、「第1国分基地」とは言われなかったから、その後に新設されたのであろう。・・・関根兵長と私たち3人は、2国のか烹炊所へ食糧を届ける軍用自動車の荷台に便乗させてもらって出発した。途中、日当山という温泉地の大正館という旅館に立ち寄ったので、私たちは用事がすむまで降りて休憩することになった。・・・「この大正館は、海軍の指定旅館、集会所になっている」関根兵長は、真面目に説明したあとで、「この日当山温泉には慰安所もあるぞ」頬笑みながらそう付け加えてくれたが、満15歳になったばかりの私には、このときまだなんのことか解らなかった。 |
証言者 | 千坂精一 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 鹿児島県国分基地 |
資料タイトル | 特攻基地の少年兵 海軍通信兵15歳の戦争 |
著者、公文書発信者など | 千坂精一 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2006.4.18 |
発行所 | 光人社 |
ページ | 195 |
出典備考 | 注:日当山温泉郷内のどこかに慰安所があったようだが、その位置は不明。 |
備考 |
現在、日当山温泉に「ホテル洗心閣」がある。ここが昭和初期「大正館」として創業したところのようだ。この住所は姶良郡隼人町内であり、日当山駅から徒歩3分の位置にある。さて、日当山温泉の範囲は、狭義をとるか、広義をとるかで異なるが、いずれにしろ一つの字地に収まるものではない。隼人町内がかなりの部分をカバーしているが、それ以外の字地も含んでいる。そこで、ここでは行政区画上、上位の霧島市でとった。 アジア歴史資料センター:C13120359100の2023に次の記述がある。「3.(イ)第2国分基地は姶良郡日当村十三塚原に位し高原地帯にて衛生上好条件を具備し且特有の地方病存せざるも一般民家との隔壁なく農民又隊建築物間に存する田畑に農耕し来れるを以て保健上注意を要すべきものと認む」「(ハ)徒歩90分にして日当山温泉あり慰安所准上用1、下士官用2、比較的清潔なり」。日当山温泉に3軒の慰安所があって、第2国分基地から徒歩で90分という意味である。本資料の記述と整合する公文書である。wam公文書サイトにもとられていない。後日、収録するとともに、本慰安所マップにも登録することとしたい。なお、本公文書の表紙(第701海軍航空隊戦時日誌)はC13120358900の1922である。 |