出典種別 | 被害証言 |
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現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | 大阪 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 役所の日本人から「兄にも会わせる。日本に金儲けに行こう」と誘われ、隣の家の娘と2人で1945年正月に釜山から船に乗りました。下関で別の日本人スハラに引き渡され、広島の家で強かんされました。工場の兄に面会すると「朝鮮に帰れ」と言われましたが、さらに別の日本人に引き渡され大阪の倉庫で、兵隊相手の「慰安婦」生活を強いられました。布団1枚敷けるだけの広さの部屋で、外には自由に出られず、空襲があっても部屋の中に残されました。週に1回検診があり、性病予防の注射を打たれましたが性病にかかり、兵隊の相手ができないため追い出され、解放されました。金はくれませんでしたが、汽車の乗車券を渡され、7月末にソウルの家に戻りました。 |
証言者 | 金卿順 |
証言者属性 | 朝鮮人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | 写真記録 破られた沈黙 |
著者、公文書発信者など | 伊藤孝司 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1993.7 |
発行所 | 風媒社 |
ページ | 92-95 |
出典備考 | 仮名:崔明順 |
備考 |
1945年の大阪に軍慰安所があったかについては要調査。 ※日本軍慰安所マップの地点としては反映させていない。
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