出典種別 | 被害証言
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現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | 広島 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 軍人を乗せたトラックに20歳の叔母とともに載せられ、着いたのは下関だった。医者が来て検診し、16歳以上は遊廓に連れていかれたという。博多の収容所のようなところで何か月か過ごし、広島の軍服を作る工場に連れていかれ、昼も夜も働いた。1943年15歳頃だった。ある日、7人がジープに乗せられ広島の山奥の軍隊へ連れていかれた。ホテルのような部屋があり、部屋の前に椅子が並べられていた。私はパンツを脱がされまいと必死で蹴り、抵抗した。いうことを聞かないと殴られて足で蹴られた。・・・解放された8月が過ぎ翌年の春、17歳の年に、「出してくれ」と叫び、ようやく戸が開いた。 |
証言者 | 尹スンマン |
証言者属性 | 朝鮮人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | 強制で連れて行かれた朝鮮人軍慰安婦たち4 記憶で書き直す歴史 |
著者、公文書発信者など | 韓国挺身隊問題対策協議会2000年日本軍制奴隷戦犯女性国際法廷韓国委員会証言チーム |
公文書宛先 | |
発行日 | 2001.2.15 |
発行所 | プルピッ |
ページ | 171-198 |
出典備考 | |
備考 |
広島と聞かされているが、原爆の体験がなく違う都市の可能性がある。
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