出典種別 | その他 |
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現在の地域情報 | 沖縄県 名護市 字城 |
資料にある地域情報 | 名護町 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 名護町大兼久南区の慰安所は、赤瓦の大きな民家が使用され、門には「宇土部隊」の看板があった。2~3人の朝鮮人「慰安婦」がいたと言われる。近所の子どもたちは通学時に慰安所の前を通らないように学校で指示された。 城区に設置された慰安所は、もともと料亭であった。料亭では中南部から売られてきた女性たちが働いていた。現在の名護市市役所の向かいにあった。 |
証言者 | |
証言者属性 | |
部隊名 | 独立混成第44旅団第2歩兵隊 |
資料タイトル | 沖縄戦における日本軍『慰安婦』制度の展開(2) |
著者、公文書発信者など | 古賀徳子 |
公文書宛先 | |
発行日 | |
発行所 | |
ページ | 70-71 |
出典備考 | 日本の戦争責任資料センター『季刊 戦争責任研究 第60号』2008夏季号、65-66ページ |
備考 | 現在の地図の名護市の名護湾沿いに「城」という地域がある。 |