出典種別 | その他 |
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現在の地域情報 | 沖縄県 南城市 玉城字糸数 |
資料にある地域情報 | 糸数壕(アブチラガマ) |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 4月1日米軍が北谷・読谷山海岸から上陸し、港川方面からの上陸陽動がなくなると、海上挺進第28戦隊も基地大隊も糸数・富名腰の岩山附近に壕を探して散開していたが、数日後アブチラガマに全員が入るようになった。入口の坂を下りた直下の天空の見える所でわずかに雨をしのぐ岩陰で、食糧が積まれた箱の上で昼中は寝ていた。ここでは糸数の住民が兵隊と一緒に入っていた。ガマの中には家も建てられ発電機もあり、電燈もついていた。第32軍野戦貨物廠は津嘉山からアブチラガマに貨物を運びこんでいた。貨物の中には正月料理に使うカズノコ(ニシンの卵)の袋もあり、粉醤油・粉味噌が多く積まれていた。暗い洞窟の中には海上挺進戦隊の見習士官や下士官達がいた。この時一緒に慰安婦も混じっていた。 |
証言者 | 新垣源勇 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 糸数アブチラガマ |
著者、公文書発信者など | 糸数アブチラガマ整備委員会 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1995.3.31 |
発行所 | 私家版(沖縄県玉城村) |
ページ | 81 |
出典備考 | 新垣源勇「手記 ヘ、志垣原基地よりアブチラガマへ」 |
備考 | 南城市は、沖縄本島南部の都市である。南城市のほぼ中央付近に玉城字糸数がある。 |