出典種別 | 被害証言 |
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現在の地域情報 | 沖縄県 島尻郡 渡嘉敷村 |
資料にある地域情報 | 渡嘉敷島 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 2007年6月、私は、挺身隊問題対策協議会の協力で、申告書類の215名の名簿の中から、90年代初めの申告当時の資料を中心に検討し、沖縄と係わりがある女性4人を見つけた。渡嘉敷で「慰安婦」生活をしていた具順喜さん(1925年生)、座間味島に連れて行かれた全在順さん(1921年生)、解放後、沖縄から韓国に戻る途中の爆撃で手首を失った李春月さん(1920年生)、そして、宮古島に強制連行された朴載男さん(1921年生)である。しかし、この4人の沖縄にいた元「慰安婦」の存在を知ったときには、宮古島にた朴載男さんを除く3人の方は既にこの世にはいなかった。・・・ 具順喜さん(1925年生)は、解放されて渡嘉敷の「慰安所」から自由の身となって、「同胞」たちの助けで彼らと一緒に「敵国船(米軍船)」に乗って1945年釜山に戻った。具順喜さんは、1942年15歳の時(数え17)、慶尚北道英陽郡の面事務の職員に召喚された。当時、面職員は「供出に行かなければならない」と言いながら英陽郡庁まで連れて行き、そこで2日間ほど滞在してから釜山に行った。釜山で輸送船に乗せられ、日本の下関に到着、下関から更に鹿児島へ行って数日間滞在してから、再び船に乗せられ、ようやく着いたところが沖縄の渡嘉敷であった。渡嘉敷では「慰安婦」の仕事をさせられ、毎日20名程度の日本軍兵士の相手をさせられた。獣扱いをされ性病にまでかかって体は「満身瘡痍」となった。薬を探すのが難しく水銀で治そうとしたが、なかなか治らずに言葉に出来ない苦痛を味わったという。 |
証言者 | 具順喜 |
証言者属性 | 朝鮮人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | 戦場の宮古島と「慰安所」 12のことばが刻む「女たちへ」 |
著者、公文書発信者など | 日韓共同「日本軍慰安所」宮古島調査団 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2009.9.6 |
発行所 | なんよう文庫 |
ページ | 275-278 |
出典備考 | 洪ユンシン「韓国に戻った沖縄の元「慰安婦」たちの「戦後」」 |
備考 |
渡嘉敷島は那覇市の西方にある。渡嘉敷島及び概ねその東方にある小島を含めた行政区画が渡嘉敷村である。渡嘉敷島の北ほぼ半分が渡嘉敷で、南が阿波連である。 ※日本軍慰安所マップの地点としては反映させていない。
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