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資料の詳細

出典種別 目撃証言
現在の地域情報沖縄県 島尻郡 座間味村 阿真
資料にある地域情報座間味島 阿真
慰安所があった時期
記載内容座間味島に日本軍が来た頃は、この家には母1人しかいなかった。父はパラオ、仲村さんはポナペ、妹1人も南洋、他の4人の弟妹は沖縄本島にいた。家が日本軍の慰安所に指定されると、母は裏にあった小さな家に移り住んだ。・・・
ハル子さんは慰安所のことを”ピー屋”といった。当時、阿真には15,6所帯があったが、そのうちの2軒、部落の端の瓦屋根の立派な家が慰安所にあてられた。今は、海岸沿いに舗装道路ができて、通る人も少なくなったが、かつては、座間味と阿真を結ぶ道は、小高い山を越える峠道であった。その峠道が阿真に入ったつき当たりに仲村家があり、仲村家まで行かない途中に、高良家の裏口があった。兵舎は座間味に造られて、兵隊は約20分の道のりを歩いて”ピー屋”に来たのだが、その際、兵隊は部落の中まで入らなくても、出入口え目的を果たすことができたのである。・・・
軍は、慰安所を開設して間もなく、部落の人々の聖域である御嶽に”汁粉屋”を設置した。兵隊は”汁粉屋”に来るふりをして、”女買い”に来た。汁粉屋の前にも、高良家の前にも、仲村家の前にもできた兵隊の行列を、ハルさんはしばしば見かけた。
証言者宮田ハル子
証言者属性地元住民
部隊名
資料タイトル赤瓦の家
著者、公文書発信者など川田文子
公文書宛先
発行日1994.1.24
発行所筑摩書房
ページ214-221
出典備考本資料はちくま文庫版である。単行本は1987.2.27筑摩書房刊。
備考 那覇市の西方海上に慶良間諸島がある。慶良間諸島のひとつに座間味島がある。座間味島の西側が阿真である。航空写真を見ると座間味から峠を経て阿真に至る道路が確認できる。仲村家と高良家の位置は不明だが、証言によれば、阿真の東側にあったようだ。
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