出典種別 | 目撃証言 |
---|---|
現在の地域情報 | 沖縄県 島尻郡 座間味村 座間味 |
資料にある地域情報 | 沖縄 座間味 |
慰安所があった時期 | 1945年3月頃 |
記載内容 | 私は戦争前は郵便局に勤めていましが、昭和20年の1月頃から、軍属として安里美代子さんと2人徴用され、軍の経理室勤務を命じられていました。・・・3月23日の大空襲で私の家は焼けてしまい、その日から家族全員壕生活をすることになりました。家族は、母に弟、妹、祖父、叔母、そして私の6人で、私たちの壕は、弟とその友人がタカマタの本部と3中隊の中間あたりに掘っていましたので、そこに入ることにしました。・・・3月25日のこと、伝令が、敵の艦隊が安室島に上陸したことを伝えてきたのです。そしていよいよ、特幹兵が出撃するということになりました。・・・それから間もなくして、いきなり私たちの壕の中に擲弾筒が打ち込まれてきました。それで気絶してしまったのです。どれくらい気を失っていたか、気がついてみんなの名前を呼ぶと、全員無事のようです。・・・このままでは私たちも心細く、本部の壕へ行こうとしましたら、本部の壕の隊長にはピーヤ(朝鮮人慰安婦)が付いているから具合が悪いでしょうということでした。 座間味村関係略年譜 1944年(昭和19) 慶良鉱業所(屋嘉比)の精鉱運搬船全滅(10・10)。座間味、阿嘉に7人ずつの朝鮮人”従軍慰安婦”が送られてくる。・・・ 1945年(昭和20) ・・・阿嘉の朝鮮人”従軍慰安婦”も基地隊と共に移動して行く(2・18)。・・・ |
証言者 | 宮里育江 |
証言者属性 | 地元住民、当時22歳 |
部隊名 | |
資料タイトル | 座間味村史 下巻 |
著者、公文書発信者など | 座間味村史編集委員会 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1989.7.10 |
発行所 | 座間味村役場 |
ページ | 61, 588 |
出典備考 | 宮里育江「肉親はみんな、「集団自決」」/wam公文書サイト:K_E_002 |
備考 |
2008.9.24、タカマタの本部壕跡が発見されたと沖縄タイムスが報じた。壕は座間味小中学校から東側のタカマタと呼ばれる丘陵部の急な斜面にあった。座間味小中学校は座間味の密集した集落の北端にある。本部壕はその東にあったというから、もちろん本部壕の位置も座間味である。安室島は座間味島の南部のすぐ先にある島。 ※日本軍慰安所マップの地点としては反映させていない。
|