記載内容 | 字内には最初、武部隊が駐屯した。集落後方の伊良波丘陵(字民は「タカムイ」と呼んだ)には軍の陣地が造られるようになったが、この年の暮れには台湾配置換えのため字を離れている。入れ替わりに駐屯してきたのが山部隊と球部隊だった。山部隊は武部隊から引き継いだ伊良波丘陵の壕堀りに専念する毎日だった。・・・球部隊は、伊良波と座安の中間にあった通称ウィドゥーギ(上當貴原)に陣地を構え、集落と少し離れた場所にいた。伊良波で特筆すべきことは、字内に「慰安所」が2ヵ所存在したことである。ひとつは、集落の中心部、アシビナーに面して位置していた。もうひとつは県道に面した民家が使用されたが、これは慰安所ではなく兵隊用の食堂だったと証言する字民もいて確定はできない。慰安所には自由に近づくことができ、軍からの規制はほとんど何もなかったという。とくに集落の真ん中でアシナビーに面した慰安所は必然的に字民の衆目にさらされる機会が多かった。昼間の活動を終えた大勢の兵隊が慰安所の前に長い列をつくり、順番待ちの間、子供たちと一緒に遊ぶ姿が日常であったという。慰安所のなかの女性たちが外を出歩くことはなかったというが、証言者らによれば沖縄の女性たちがほとんどであったらしい。 |