出典種別 | 被害証言 |
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現在の地域情報 | 沖縄県 島尻郡 南風原町 字津嘉山 |
資料にある地域情報 | 南風原村 津嘉山 村屋(公民館) |
慰安所があった時期 | 1944年11月頃 |
記載内容 | 偕行社というのは陸軍将校らの親睦団体である。津嘉山長堂に設置された偕行社料理部は将校らが利用する料亭と予想された。私が知りたかったのは、慰安所のことだったから、目的から多少ずれていた。だが、津嘉山に行ってみると、偕行社料理部より先に3か所の慰安所の所在が分かったのだ。1か所は村屋(公民館)が慰安所として使われた。もう1か所は、製糖工場の社宅が慰安所にされたところである。ツルさんは偶然にも、その村屋の慰安所に沖縄戦の始まる直前の1944年11月頃から翌年3月23日までいた。・・・ また、空襲があったので、那覇にはいられないと感じたツルさんは、再度、長堂へ行ったのだ。名護には行かなかった。辻にいた頃の馴染客であった三宅三郎という軍曹が、長堂に住む部屋を間借りしてくれたからだ。食事も兵隊に運ばせてくれた。・・・だが、戦前、実家の向かいに住んでいた人が長堂におり、ツルさんがジュリであることを知っていて、慰安所ができるから働かないかと誘いに来た。辻という一般の人びととの生活の場から隔離されていた遊廓ならともかく、民間の人が日常生活を営んでいる家に毎日日本の軍人を出入りさせるのは失礼になると感じていた。それで、三宅軍曹が借りてくれた部屋を出、慰安所に行ったのだ。11月頃だった。・・・前述したとおり、ツルさんが働くことになったのは村屋の建物を使って開設した慰安所である。ツルさんはその慰安所の呼称を「クラブ」と記憶している。・・・抱え主は南洋の料亭を渡り歩いてきた女性だった。 |
証言者 | 宮城ツル(仮名) |
証言者属性 | 沖縄被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | 戦争と性 近代公娼制度・慰安所制度をめぐって |
著者、公文書発信者など | 川田文子 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1995.4.30 |
発行所 | 明石書店 |
ページ | 151-157 |
出典備考 | |
備考 | 那覇市の南東に南風原町がある。南風原町の南部に津嘉山がある。 |