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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報沖縄県 島尻郡 八重瀬町 字新城
資料にある地域情報ガラビ洞
慰安所があった時期
記載内容このころ、沖縄本島の湊川(みなとがわ)方面(太平洋側)に米軍上陸の公算大という情報があり、山3486部隊、固有部隊名24師団第1野戦病院本隊が富盛(ともり)洞くつから具志頭村(ぐしかみそん)新城(あらぐすく)=沖縄では城のことをグスクと言う。神の居るところという意味らしい。この新城の洞くつを地元の人はガラビ洞と言っていた=へ向かった。産婦人科の年寄りの少尉、また見習士官も産婦人科の医師、それに兵20人ほど、正規看護兵3人、学徒5,6人。湾には敵の艦船がびっしりと並んでいた。・・・
山3486部隊に来た学徒の総員は那覇の第2高等女学校の生徒67人、積徳高女55人の計122人だった。このガラビ洞という恵まれた奥行きの深い洞くつで岩盤も厚く、中には水も少し有り、空気の流れも良く、500メートルくらい奥行きもあったと思う。戦傷患者の収容は最盛期に約千人ほどだったろうか。
戦力の都合で当時炊事は沖縄の辻に立つ娼(しょう)婦ばかりでなく朝鮮人の慰安婦たちにすべて任され、女性たちはかいがいしく働いていた。こんな玉砕の地にはるばる朝鮮から何のために来たのか尋ねたところ、女子挺身隊になって、お国のために働くつもりで来たが、連れて来られてみたら慰安婦にされていたという。
証言者吉澤嘉人
証言者属性
部隊名
資料タイトル我、玉砕の沖縄に死せず-敗残の記録-
著者、公文書発信者など吉澤嘉人
公文書宛先
発行日1995.6.10
発行所山梨日日新聞出版局
ページ19-20
出典備考ガラビ壕とヌヌマチガマは内部でつながっている。
備考 沖縄本島南端の中央付近に八重瀬町がある。新城はその東側にある。ガラビガマがある。
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