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資料の詳細

出典種別 目撃証言
現在の地域情報沖縄県 島尻郡 八重瀬町 字新城
資料にある地域情報ガラビ壕
慰安所があった時期
記載内容ガラビ入り口の天井から光が入っている所に、男も女もいましたよ。男は兵隊さんじゃないか、あれは。「朝鮮ピー」も兵隊さんもいたよ。人数はわかりませんよ。歌は「アーリラン、アーリラン」やりよったんですよ。うち、これだけは覚えているよ、「アーリラン、アーリラン」って。(注:島富子証言)
患者の便器・尿器の始末は、私たちはやっていない。地元女性の青年団の人たちがやってくれていた。その中に、女性の朝鮮人もいた。地域の人たちと一緒に、一生懸命やっていた。食事や水を配ったりもしていた。ヌヌマチ側にもいた。若いリーダーで、話は通じた。服装はモンペだった。何人くらいいたかはわからない。(注:親泊正子・仲地政子証言)
ガラビの負傷者数 助手の女の子に、2人一緒に「入院患者の数を確認しなさい」と言ってね、いつも確認してもらっていた。そうしたら千何十名、1200まではいかなかったんですが、1000名ちょっとオーバーしました、最高で。病院は、新城と女学生と軍の特殊慰安婦とね、そういう人で運営していたようなものですよ。(注:H軍曹証言)
朝鮮人のこと 戦力の都合で、当時炊事は娼婦ばかりでなく朝鮮人の慰安婦たちにすべて任されていた。こんな玉砕の地にはるばる朝鮮から何のために来たのかと尋ねたところ、「女子挺身隊になって、お国のために働くつもりできたが、連れて来られてみたら慰安婦にさせられた」という。(注:吉澤嘉人証言)
証言の掲載にあたって
三、朝鮮の人がガラビ側入口付近にいたといわれているが、その人数や役割が明確になっていない。白梅学徒の証言では「下の処理」をしていたとなっているが、地域の人の証言では、慰安婦的な扱いをされていたといわれている。
証言者島富子 親泊正子・仲地政子 H軍曹 吉澤嘉人
証言者属性
部隊名
資料タイトルシリーズ 沖縄の戦争遺跡 ガラビ・ヌヌマチガマ
著者、公文書発信者など沖縄平和ネットワーク 文化財・ガマ部会
公文書宛先
発行日2001.10.8
発行所沖縄平和ネットワーク
ページ42, 49, 54, 62, 78
出典備考注:最後の「証言の掲載にあたって」にある「下の処理」と「慰安婦的な扱い」は対立するものではない。座嘉比ヨシさんの証言を別データ(a-4440)としたため、ここで紹介した証言には後者のような証言はないが、両方があったと考えるのが自然であろう。ガラビ壕とヌヌマチガマは内部でつながっている。
備考 沖縄本島南端の中央付近に八重瀬町がある。新城はその東側にある。ガラビガマがある。
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