出典種別 | 兵士の回想録等
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現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | 近県 |
慰安所があった時期 | 1940年 |
記載内容 | 戦争の拡大により、私は昭和15年、憲兵補充として補助憲兵採用となり、近県憲兵隊分隊に配属となった。憲兵隊の機関要員は憲兵中尉を分隊長に憲兵8名、補助憲兵20名、書記2名、通訳1名、馬丁1名、中国軍帰順兵30名、掃除人夫の中国人若干名で総勢約70名であった。私は補助憲兵の班長を命ぜられ、勤務割り、駐屯地司令部「四国聯隊本部」との命令受領、風俗営業取締りなどを行った。朝鮮人慰安婦25名の検診立会は1日と15日で、医師は朝鮮人。性病保持者は営業停止処分である。戦争郵便局の検閲、帰順兵の日本軍式訓練の指導など、一般警察業務も行っていた。 |
証言者 | 谷村文三郎 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 孫たちへの証言 第19集 「人の心を破壊させる戦争をやってはならない」 |
著者、公文書発信者など | 福山琢磨編 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2006.08.01 |
発行所 | 新風書房 |
ページ | 111-112 |
出典備考 | 谷村文三郎「「戦争と憲兵隊」首謀者捕らえ非人道的行為も」 |
備考 |
注:「支那地名集成」には欽県、勤県、忻県、金県、均県があるが、近県は見えず。近県の位置不明。
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