出典種別 | その他 |
---|---|
現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | 中国の中南部 |
慰安所があった時期 | 1940年 |
記載内容 | 1940年、中国中南部には約200戸の朝鮮人経営の軍隊慰安所があったというが、軍隊慰安所経営者は当地域における朝鮮人の職業のうち、もっとも多い職業であり、これら軍隊慰安所の経営者は最初小資本から出発し、20,000元ないし300,000元の資本家になっているという。また、前出の<表6-4>の朴日碩、陳、趙の場合、3名とも資本金2,000元のカフェー業者であったが、1940年現在、数倍の資本金を持つ軍隊慰安所の経営者になっている。例えば陳の場合、安慶に転居して軍隊慰安所の経営者になっているが、前述したように、安慶が日本軍に占領されたのは1938年6月であり、それ以前には居住する朝鮮人がいないということであるので、転業後約2年半程で接客業者のときより数倍の資本をもつ資本家になったという計算になる。このように、接客業者が軍隊慰安所の経営に乗り出したいと考えるきっかけは、もし成功すれば、相当な利益を保証すると考えられたからであろう。 |
証言者 | |
証言者属性 | |
部隊名 | |
資料タイトル | 日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦 |
著者、公文書発信者など | 尹明淑 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2003.2.20 |
発行所 | 明石書店 |
ページ | 375 |
出典備考 | 楊昭全他編『関内地区朝鮮人半日独立運動資料集編・上冊(1919-1945)』遼寧民族出版社、1987、5ページ |
備考 |