出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | 不明 |
慰安所があった時期 | 未記載 |
記載内容 | 敗戦翌年の3月、現地除隊した鄭さんは、帰国のために上海にたどり着いた。そこには日本軍に置き去りにされた数百人もの朝鮮人慰安婦が集まっていた。カナザワサチコも、同級生の姉もいた。10万人余の民間人が帰国を争ってひしめいている。懇願されて、鄭さんは米軍のテイラー大尉に一通の懇願書を書いた。「話にならないほど気の毒な女性たち。まっ先に帰してあげずにはいられませんでした」願いは聞き届けられた。3月6日、釜山へ向かう3千トンの軍艦2隻の1隻に女性たち全員が乗り込んだ。 |
証言者 | 鄭琪永 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 女たちの太平洋戦争2 日本軍を見た内外の瞳 |
著者、公文書発信者など | 朝日新聞社 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1997.9.1 |
発行所 | 朝日新聞社 |
ページ | 118 |
出典備考 | 鄭琪永「慰安婦に命を救われた」 |
備考 |