出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | 南洋 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | メレヨン守備隊関係年表(筆者の記憶から) S18・11・30 南洋五支隊(東部第12502部隊)編成さる 19・1・6 南洋五支隊、えりい丸で宇品出発 1・11 佐伯港で船団編成出発、正午過ぎ豊後水道南方海上で米潜水艦の雷撃を受けえりい丸沈没・・・ 昭和19年(1944)1月1日真夜中に兵営を発ち宇品港へ、そこで輸送船江りい丸(5.495屯)に乗船、4日未明、宇品を発ち釜山にて慰安婦を乗せ門司に寄港、その後1月9日佐伯港に入港した。佐伯港で海軍用船山鶴丸と怒和丸が一緒になり3隻の船団が組まれ、11日早朝護衛艦に守られて出港した。この船団は九州の太平洋岸を右舷側に見ながら雄然と航海の途についた。船内では昼食が終った頃(12時45分頃)強烈な爆発音と衝撃を受け、船内は真暗になった。全員退避を叫ぶ、船艙から抜け出すことが出来ない。やっと甲板に出ると、船はかたむき、爆発のあおりで海中に投げ込まれ泳いでいる者が沢山いた。筏が降ろされ、兵士達は冬のいてつく海に飛び込んだ。 |
証言者 | 大浦庸生 |
証言者属性 | |
部隊名 | 南洋五支隊西部第33部隊 |
資料タイトル | 飢餓の島メレヨンからの生還 |
著者、公文書発信者など | 大浦庸生 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1993.3.25 |
発行所 | 新風書房 |
ページ | 19-20, 43 |
出典備考 | 注:証言者は、江りい丸沈没後に再編成された部隊の一員。3月1日、再編された松江丸に乗船、出発する。釜山、門司を経由するが、この船に「慰安婦」が乗船したとの情報は記されていない。この船は3月27日にパラオ島のマラカル港に入港する。江りい丸もパラオ島に向かう予定だったのであろうか。南洋五支隊の航路は、宇品、釜山、門司、佐伯(大分)、パラオである。ちなみに本書の題名のメレヨン島とはグアム島の南方の小島である。 |
備考 | 筆者は江りい丸沈没後に再編成された部隊の一員。 |