出典種別 | 被害証言 |
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現在の地域情報 | 彰化県 彰化市 |
資料にある地域情報 | 彰化 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 17 歳の頃、私の家にも朝鮮語と日本語を話す男が来て「日本の工場で金になる仕事がある」と言いました。家に来た男と10 人位の娘たちと一緒に釜山から船に乗り、向かったのは日本ではなく台湾でした。台湾人が住んでいた大きな平屋の家で看板があり、すでに5、6人の朝鮮人女性がいた。陸軍と海軍両方来て、民間人も来た。「フジコ」と名付けられ、1 日に10 人程の相手をさせられ、休みは1 ヵ月に1 日。自由に外出することは許されず、食べたい物を買うお金もなかったです。 |
証言者 | 朴頭理 |
証言者属性 | 朝鮮人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | 強制で連れて行かれた朝鮮人軍慰安婦たち2 |
著者、公文書発信者など | 韓国挺身隊問題対策協議会・韓国挺身隊研究会 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1997.4.22 |
発行所 | ハヌル |
ページ | 31-41 |
出典備考 | |
備考 |