出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 東ニューブリテン州 ラバウル |
資料にある地域情報 | ラバウル |
慰安所があった時期 | 1942年2月21日 |
記載内容 | 2月21日、連隊全員に外出許可がでる。全員突撃一番(衛生サック)と外出許可証とこの日初めて俸給が出た。・・・四拾五円だった。・・・この日はピー屋(慰安婦)の開所日に当り、兵隊は朝鮮人、下士官と将校は日本婦人が相手である。200人程の慰安婦で、数十万の部隊兵を仕切っていた。朝鮮婦人など毎日30人位相手するよと言っていた。部屋の外は長蛇の列、最前列は既にズボンを脱いで突っ立て乍ら、「まだかァまだかァ」と叫んでいた。・・・6月に入って看護婦やラバウルの慰安婦全員が、内地に帰還する事になり、病院船に乗船してラバウルを出たが、港外で撃沈された。船底にいた慰安婦達は大半が海の藻屑と消え、僅かの朝鮮婦人が救助されている。 |
証言者 | 証言者不明 |
証言者属性 | 日本人兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 傷痍軍人の戦争体験記 |
著者、公文書発信者など | 神奈川県傷痍軍人会 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2001.1.1 |
発行所 | 私家版(横浜市港南区) |
ページ | 158-161 |
出典備考 | |
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