出典種別 | 兵士の回想録等
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現在の地域情報 | 東ニューブリテン州 ラバウル |
資料にある地域情報 | ラバウル |
慰安所があった時期 | 1943年10月 |
記載内容 | 敵戦爆連合約200機による初めての大空襲を受けた。・・・ラバウル市街の壊滅の近いことを痛感した。・・・看護婦及び慰安婦ら非戦闘員の早い内地送還を意見具申し了承された。その理由は、この苛烈な決戦場に女性を控置することは人道よろしくないこと、と慰安婦の百害とであった。・・・その後、慰安婦を還したことで憲兵隊は、アチコチから集中攻撃を受け、白人シスター・女性華僑を代りに提供させろ等と無法な要求を受けたが、断乎拒否した・・・上陸当初の頃・・・唯一の犯罪の温床は、憲兵隊の目前に陣取っている慰安婦集落であった。その数、約300名で健気に稼ぎまくっており、よくぞここまで遠征したという感じで、その逞しい商魂には驚かされた。・・・内地人、朝鮮人、台湾人の混成で雇い主は不明だったが、気の毒な貧しい出身であることは確かであった。彼女らの一日の平均客数は約30~40人で、中には80人という豪の者がいた。 |
証言者 | 松田才二 |
証言者属性 | 警務課長 |
部隊名 | 第6野戦憲兵隊 |
資料タイトル | 孤鷹の眼(1943/1948) 日本は世界平和の先駆となろう 今こそラバウル戦史の偽りを抉る |
著者、公文書発信者など | 松田才二 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1993.12.25 |
発行所 | 創現社出版 |
ページ | 44-45、132 |
出典備考 | 注:奥付の証言者経歴に「1943-1945年 第6野戦憲兵隊(ラバウル)警務課長」とある。 |
備考 |
奥付の証言者経歴に「1943-1945年 第6野戦憲兵隊(ラバウル)警務課長」とある。
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