出典種別 | その他
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現在の地域情報 | ブクム島 |
資料にある地域情報 | ブクム島Pulau・Bukum |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | シンガポールの日本軍慰安所についての初めてのまとまったレポートとして発表されたのが、パン・ミンイェン氏の「日本軍は占領中、少なくとも5か所の慰安所を設けていた」というレポートである。パン氏があげている5カ所とは、ブクム島Pulau Bukum、セントーサ島Sentosa Island、ケーンヒル・ロードCairnhill Road、タンジョン・カトン・ロードTanjong Katong Road、ブキット・パソーBukit Pasohである。ブクム島については、その島にいた人の証言が紹介され、インドネシア人の慰安婦がいたこと、その慰安婦たちは、汚された身体で故郷に帰るよりは外国で死んだ方がましだと言っていたということである。 |
証言者 | パン・ミンイェン |
証言者属性 | ジャーナリスト |
部隊名 | |
資料タイトル | シンガポールの日本軍慰安所 |
著者、公文書発信者など | 林博史 |
公文書宛先 | |
発行日 | |
発行所 | |
ページ | 35-36 |
出典備考 | 日本の戦争責任資料センター『季刊戦争責任研究 第4号』1994年夏所収 |
備考 |
"Straits Times"1993.8.30 執筆者はジャーナリストと思われる。目撃証言をもとに執筆しているが、詳細はわからない。
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