出典種別 | 被害証言 |
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現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | シンガポール |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 17歳の時、ソウルで拉致され、釜山で一晩過ごしてから軍用貨物船でシンガポールへ。軍人がたくさんおり、韓国の軍人たちもいた。港で軍用トラックに乗せられ、軍人たちが陣営をはる広場で降ろされ、他の女性たちはフィリピンなどに送られ、自分と“なすこ”、“けいこ”の3名が「しおこクラブ」という上級士官専用の慰安所へ運ばれた。「しおこクラブ」はシンガポール市内の大通りに位置し、近くには大東亜劇場、昭南ホテルなどの有名施設があった。昭南ホテルでは、日本が勝利すると旗を掲げた。爆撃が激化すると「しおこクラブ」は閉鎖され、1軒のみ残った日本家屋の慰安所「なんおや」に連れていかれた。中国人居住地の2階建ての家で、私たちは日々ご飯を食べ、そこでもお客を取らされた。階級の低い軍人たちが列をなし押し寄せたので、日曜などは食事もできないほどだった。ひどい病気にかかり、陸軍病院で入退院を繰り返した。1945年にシンガポールの捕虜収容所に行ったが、そこいらの木の葉をむしって食べたり、軍隊式に大鍋で茹でたトウモロコシの粉などを食べながら1年を過ごした。 |
証言者 | 安ボプスン |
証言者属性 | 朝鮮人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | 強制で連れて行かれた朝鮮人軍慰安婦たち4 記憶で書き直す歴史 |
著者、公文書発信者など | 韓国挺身隊問題対策協議会2000年日本軍制奴隷戦犯女性国際法廷韓国委員会証言チーム |
公文書宛先 | |
発行日 | 2001.2.15 |
発行所 | プルピッ |
ページ | 225-244 |
出典備考 | |
備考 |