出典種別 | 被害証言 |
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現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | シンガポール市内から少し入ったところ。 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 永登浦駅で男性に「うちで一緒に働こう」と誘われ、翌日汽車に乗り、着いたのが満州の牡丹江の慰安所でした。1年位後、妊娠に気づかないままシンガポールへ移動しました。新町の慰安所は2階建てで20人位の「慰安婦」がいました。出産した子どもはすぐ亡くなりました。軍人が避妊を嫌がり、その後も2回出産しましたが、梅毒の薬の影響で死んだと思います。週1回性病検査があり、606号注射を打たれました。1944年、4回目に出産した娘と帰郷しました。 |
証言者 | ジャン・ジョムドル |
証言者属性 | 朝鮮人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | 日本軍‘慰安婦'証言集6 歴史をつくる話―日本軍‘慰安婦’女性たちの経験と記憶 |
著者、公文書発信者など | 韓国挺身隊問題対策協議会付設戦争と女性人権センター研究チーム |
公文書宛先 | |
発行日 | 2004.5.18 |
発行所 | 女性と人権 |
ページ | 243-251 |
出典備考 | |
備考 |