出典種別 | 被害証言 |
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現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | シンガポール |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 釜山から乗った大きい船には100 名を超える男女がいました。船が着いた時、シンガポールだと教えられました。軍の車で山の中に着くとバラックがいくつもあり、そこに10 名、20 名と入れられました。周りに民家はなく、兵隊の死体焼き場がありました。管理人は日本人の男でした。兵隊だけが相手で、相手をする兵隊の数が少ないと管理人に殴られ、生理の時も休めませんでした。ひどい兵隊も多く、言うことを聞かないと「この朝鮮人め」と殴る蹴るの仕打ちをうけました。夜泊まっていく軍人は、時々、小遣いをくれました。週に1 度検診があり、梅毒になった時は606 号を打たれました。解放の次の日、朝鮮人は山の中の収容所に集められ、その後、船に乗って釜山に着きました。 |
証言者 | 李良根 |
証言者属性 | 朝鮮人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | 強制で連れて行かれた朝鮮人軍慰安婦たち5 |
著者、公文書発信者など | 韓国挺身隊問題対策協議会2000年日本軍制奴隷戦犯女性国際法廷韓国委員会・韓国挺身隊研究所 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2001.12.15 |
発行所 | プルピッ |
ページ | 337-343 |
出典備考 | |
備考 |