出典種別 | 被害証言 |
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現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | シンガポール |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 18歳になった年のある日、見知らぬ男が私に「おなかいっぱい食べられ、楽に暮らせる所へ行かないか」と声をかけ、私を連れ出した。後で知ったことだが、かれは金を貰って娘たちを日本人に売り渡していたのであった。私は何日も汽車や船に乗ってシンガポールに着いた。そして私に永遠の傷跡を残したあの屈辱的な「慰安婦」生活がはじまった。けだもののような日本兵は反抗するとなぐったり、蹴ったりした。かれらは日に数十人もやってきて獣欲をしたした。恐怖と屈辱の念にとらわれ涙ながらに日を送っていた朝鮮女性たちは逃げることと自殺することばかり考えた。逃亡して捕らえられたら、「慰安婦」全員を集めた前で銃剣でむざんに刺し殺された。死ぬより辛い「慰安婦」生活のなかで歳月は流れ、私はまたビルマ(ミャンマー)に連れて行かれ、「慰安婦」生活を強いられた。そこで私は伝染病にかかった。鬼のような日本兵は、私が伝染病にかかったことを知ると、古かますにくるみ遠くへ捨てた。そこで私は、徴兵に取られてきた朝鮮青年の看護を受け、九死に一生を得た。8.15解放後、私は命の恩人の助けで懐かしい祖国にやっと帰ることができた。 |
証言者 | 趙三順 |
証言者属性 | 朝鮮人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | 踏みにじられた人生の絶叫 |
著者、公文書発信者など | 「従軍慰安婦」・太平洋戦争被害者補償対策委員会 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1995 |
発行所 | 「従軍慰安婦」・太平洋戦争被害者補償対策委員会 |
ページ | 89-90 |
出典備考 | |
備考 |