出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | マニラ首都圏 マニラ市 |
資料にある地域情報 | ブリューバード・ストリート近く |
慰安所があった時期 | 1942年3月 |
記載内容 | 昭和20年1月・・・モンペ姿の女性の一団が・・・マニラから北へ向かって出発していった。彼女たちは、昭和17年3月、マニラ占領とともに設営された慰安婦部隊のなかの芸者たちであった。・・・慰安所は、マニラ市のブリューバード・ストリート近くにある“レナウッド・ホテル”を接収。これを“浪速荘”と改めたところがこれに当てられたのだから、決して貧弱なものではなかった。・・・慰安婦部隊の別派としてやってきたダンサー部隊も・・・キャバレー・カサマニアを慰安所とし・・・兵隊の慰安をしていた。・・・5月7日夜―慰安婦部隊に伝令がきて、「すぐここを引き払って、サンフランシスコ・ビノン方面に転進せよと部隊長命令です」といった。 大駒木がフィリピン方面に慰安所を開設するよう陸軍省から命令を受けたのは、昭和16年12月末のことであった。・・・現地軍と接渉したあげく、海岸公園ルネタ地区の”ベイ・ビュウ・ホテル”の近く、”ムーン・グロウ・ホテル”を提供してもらい、これを木乃実苑と名づけ、百人の女、それにパーマ屋・・・板前など40人を加え・・・マニラへ入った。 |
証言者 | 不明 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 第23師団 |
資料タイトル | 秘められた女の戦記 |
著者、公文書発信者など | 加藤美希雄 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1968.5.10 |
発行所 | 清風書房 |
ページ | 242,243, 244, 246 |
出典備考 | |
備考 |
証言者が明確でなく、フィクションを含んでいるかもしれず、慰安所カウントはしない。 ※日本軍慰安所マップの地点としては反映させていない。
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