出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | マニラ首都圏 マニラ市 |
資料にある地域情報 | マニラ |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 途中バヨンボンの町の西方2キロのボンファルという部落に集められました。軍の施策で瑞穂村とか大和村とかいう名の村を作って、在留邦人婦人だけの自給自足生活をさせられました。一口に婦女子と言っても、商社勤めや家庭主婦は少なく、夥しい数の水商売の女たちがいました。都会を離れ農作業ということになると、・・・水商売の女たちのたくましさにはとてもかないません。・・・マニラの軍慰安所のやり手婆さんが、女郎を支配するように、口汚なくみんなを怒鳴りまくってこき使いました。 7月も末のある日、私は連絡将校として命令を受けて、大和基地の山下軍司令部に向かった。・・・近道しようとして、道に迷った。・・・ニッパ椰子の葉で屋根を葺いた小屋の前に出た。・・・洗濯物が干してあった。女物の派手な色物の下着であった。・・・若い女二人が登ってきた。ともに二十歳から二十代前半か。・・・「あれはいったい何者か?」「へへへ。篤志看護婦ですよ。・・・軍司令部の部長殿付きの軍属です。」・・・女は、マニラのカフェーの女給だが、篤志看護婦として軍に召集されておエライさんの専用ホステスになっている。 |
証言者 | 金井英一郎 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 白骨山河 |
著者、公文書発信者など | 金井英一郎 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2002.11.15 |
発行所 | 文芸社 |
ページ | 204, 205, 234-237 |
出典備考 | 注:マニラから脱出しボンファルに日本人村を作った。その中にマニラの慰安婦関係者がいた。 |
備考 |