| 出典種別 | 兵士の回想録等 |
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| 現在の地域情報 | マニラ首都圏 マニラ市 |
| 資料にある地域情報 | マニラ |
| 慰安所があった時期 | |
| 記載内容 | 兵隊が『俺アがっかりしたよ。マニラには別嬪がいるかと思いや、黒い、唇のひっくり返った奴ばっかしゃないか』とこぼす。スペイン系の白人もいるにはいるが、月給百何十ペソの高給者?の我々では、一夜の介情に俸給全額を献上せねばならない。空腹を補うためベービューホテルの隣の中華飯店で一番安い炒飯が5円、その南のインチキホテル、オリンピックへ泊って、白人のエスペランサー嬢と片言の英語で一夜を明かすと、もうその翌日から一ヵ月は南瓜飯の連続の耐乏生活を送らなければならない。下士官兵の性問題の解決には慰安所があるにはあったが、台湾娘や比島娘で値段は安いが後が怖い。高級将校の為には内地直輸入の綺麗処がいる。これは皆囲い者で何奴さんは某閣下、何龍さんは某部隊長とパトロンが決まっている。 |
| 証言者 | 佐藤(旧性服部)恭大 |
| 証言者属性 | 日本軍兵士 |
| 部隊名 | 独立第10飛行団第111飛行場大隊 |
| 資料タイトル | 南方飛行戦隊 ボルネオ戦記 |
| 著者、公文書発信者など | 佐藤(旧性服部)恭大 |
| 公文書宛先 | |
| 発行日 | 1953.4.21 |
| 発行所 | 富士書房 |
| ページ | 41-42 |
| 出典備考 | |
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