| 出典種別 | 目撃証言 |
|---|---|
| 現在の地域情報 | マニラ首都圏 マニラ市 |
| 資料にある地域情報 | マニラ市 パコ区 パダンバヤン |
| 慰安所があった時期 | 1942年12月 |
| 記載内容 | 私がマニラへ渡りましたのは17年の12月でした。私の店は台南にありましたので常時南方進出の機運が強かった頃ですから、高雄、台南と次々に建設される海軍の航空部隊の将校連中がよく遊びに見えました。そんな関係で太平洋戦争が始まってマニラが落ちると直ぐに、台北の海軍武官府にお百度をふんで、現地での営業希望をお願いして置いたのですが、許可が下りましたのは17年の暮れでした。早速私の家に居た妓を中心に13名の芸者を集め、それに板前、髪結、大工、左官まで全員30名で其の年の中に高雄を出発致しました。・・・マニラ市のパコ区パダンバヤンでサンマルセリノのフリーメーソンのお寺を割り当てられました。・・・マニラには海軍関係は士官以上のが私共1軒、下士官兵さんのが他に4,5軒ありましたが、陸軍関係は部隊が多い為士官以上用が廣松と言ふのがありました他、下士官兵用は数十軒もありました。 |
| 証言者 | 元台南の「あづま」の女将 |
| 証言者属性 | 経営者 |
| 部隊名 | |
| 資料タイトル | 特集 文芸春秋 日本陸海軍の総決算 |
| 著者、公文書発信者など | 文芸春秋 |
| 公文書宛先 | |
| 発行日 | 1955.12.5 |
| 発行所 | 文芸春秋新社 |
| ページ | 223 |
| 出典備考 | 重村實「特要員と言う名の部隊」 |
| 備考 |