出典種別 | 目撃証言 |
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現在の地域情報 | マニラ首都圏 マニラ市 |
資料にある地域情報 | マニラ |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 「私の家は代々料理屋でしたがマニラでの営業許可を海軍からもらって、商売用の食器・・・そういったものまでそろえて行きました。慰安施設の運搬だけは海軍にお願いして。海軍は下士官以上、陸軍は佐官以上の方に利用してもらうことになったのですが、やはり海軍の航空隊の人たちが多くて、連日押しかけてこられて宴会をやっておられましたねえ。ええ、芸者はもう内地では見られない時分に、22、3人もいましたから……」当時マニラには、海軍関係が士官以上の『あずま』と、下士官、兵の施設4、5軒、陸軍は士官以上が1軒、下士官以下のためには数千軒の慰安施設があった。 |
証言者 | 藤坂絹子 |
証言者属性 | 料理屋の女将(新橋のビーフン『東』経営者) |
部隊名 | |
資料タイトル | 週刊大衆 |
著者、公文書発信者など | |
公文書宛先 | |
発行日 | 1970.8.20 |
発行所 | 双葉社 |
ページ | 30-31 |
出典備考 | 「性の奴隷として生きた戦場の女たち」 |
備考 |