出典種別 | 被害証言 |
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現在の地域情報 | マニラ首都圏 マニラ市 |
資料にある地域情報 | マニラの明月館 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 15歳の時、「娘を工場に行かせれば家一軒買える前金がもらえる」と騙され、父が私を日本人に売りました。15 人の女性と台湾新竹の料理屋に連れて行かれ、既にいた朝鮮人5 名と日本人20 名と合わせ40 人程の女性になりました。「ハナコ」となった私は泣きました。1 年程でフィリピンのマニラに全員で移動。日本軍が奪ったフィリピン人の家で2階建て。明月館といい私は15 番でした。慰安所の主人は日本人で陸軍の軍人が来ました。週に1 回検査がありましたが、サックの使用を好まない軍人から梅毒を移され、606 号注射を打っても治りませんでした。1 年程経つと爆撃が激しくなり、7 ヵ月以上、山を逃げ回りました。食べ物や病気で苦しくて4 人で山から下り、「コリア」と叫ぶと米軍は銃を下ろしました。収容所ではご飯や缶詰をもらい、背中に名札を貼られ、はぐれた朝鮮人女性達に会いました。 |
証言者 | 河ボッキャン |
証言者属性 | 朝鮮人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | 強制で連れて行かれた朝鮮人軍慰安婦たち5 |
著者、公文書発信者など | 韓国挺身隊問題対策協議会2000年日本軍制奴隷戦犯女性国際法廷韓国委員会・韓国挺身隊研究所 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2001.12.15 |
発行所 | プルピッ |
ページ | 251-302 |
出典備考 | |
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