出典種別 | 被害証言
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現在の地域情報 | マニラ首都圏 マニラ市 |
資料にある地域情報 | アスカラガ |
慰安所があった時期 | 1942年12月 |
記載内容 | 原告サンティリアンは、日本の将校達に、日本軍が駐屯していたトゥトゥバン駅の南側にあった将校達の本部まで連行された。・・・建物の2階にあったエアポートスタジオの部屋に連れて行かれ、その日の晩にさらに別の部屋に連れて行かれ、日本軍の将校サクマにベッドに押し倒され、レイプされた。・・・その後は1週間に2晩程来ない晩があったが、それ以外は毎晩将校にレイプされた。特に水曜日には多くの将校達が来ていたようだった。多いときは1晩で7人から10人ほどの軍人にレイプされた。その後原告サンティリアンは、日中は将校達の三度の食事を作り、夜はレイプされるという生活を、1944年にエアポートスタジオを逃げ出すまで強いられた。 |
証言者 | マリア・フェ・ヤブット・サンティリアン |
証言者属性 | フィリピン人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | フィリピン「従軍慰安婦」国家補償請求訴訟・判決 |
著者、公文書発信者など | 東京地方裁判所 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1998.10.9(判決言渡日) |
発行所 | |
ページ | 217-218 |
出典備考 | 正式名:平成5年(ワ)第5966号、同第17575号 フィリピン「従軍慰安婦」補償請求事件(マリア・ロサ・ルナ・ヘンソン他45名原告ら訴訟代理人弁護士高木健一外18名) |
備考 |
注:別の公文書から、エーヤポートスタジオが「マニラ市トンド区アスカラガ街」にあったこと、また1942年1月にはエアーポートスタジオに憲兵隊の第一分駐所が置かれていたことがわかる。C1402667700参照。
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