出典種別 | 被害証言 |
---|---|
現在の地域情報 | マニラ首都圏 マニラ市 |
資料にある地域情報 | グレゴリオ・デル・ピラール小学校 |
慰安所があった時期 | 1943年4月 |
記載内容 | ミサに参加するため近くのセント・トマス大学に向かっていた際、突然銃を発砲された。そして、日本兵がきて、両手で原告マリラグの耳をはさむように、思い切り平手でたたいた。そのあと日本兵は、原告マリラグを前に突き倒したので、・・・気を失ってしまった。・・・日本軍の車(白い車)に乗せられ・・・プラザ・サンタクルス橋の近くで下された。・・・そのあと、日本兵が2人来て、原告マリラグを車に乗せツツバン駅から東へ少し行ったところにある、グレゴリオ・デル・ピラール小学校につれて行った。そこは日本部隊が接収して駐屯地として使用しており、1000人位の日本兵がいた。・・・そこで日本兵の将校にレイプされた。そして、そのあとも1週間に3,4回、・・・多いときは1日3回もレイプされた。 |
証言者 | シンプリシア・マリラグ |
証言者属性 | フィリピン人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | フィリピン「従軍慰安婦」国家補償請求訴訟・判決 |
著者、公文書発信者など | 東京地方裁判所 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1998.10.9(判決言い渡し) |
発行所 | |
ページ | 220-221 |
出典備考 | 正式名:平成5年(ワ)第5966号、同第17575号 フィリピン「従軍慰安婦」補償請求事件(マリア・ロサ・ルナ・ヘンソン他45名原告ら訴訟代理人弁護士高木健一外18名) |
備考 |