出典種別 | 被害証言 |
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現在の地域情報 | 西ビサヤ地方 アンティケ州 シバロム |
資料にある地域情報 | アンティケ、Sibalumの石原産業会社? |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 日本兵がやってきて、父を駐屯地に連れて行きました。翌日、父親に会いに行った駐屯地の名前はイシハラ サナヨ カイシャでした。日本のキャプテンの名前はマノ・ミヌロでした。父親に会いに来たと行くと、隣の部屋へ連れていかれ、強かんされました。その後、女性に連れられてキャプテンの住んでいる場所に監禁され、逃げたら家族を殺すと脅されました。昼間は雑役を、夜はキャプテンに強かんされました。そこに住んでいる女性は私だけで、シヌコ・サンと呼ばれました。米軍がやってくるまで逃げられず、1945年までいる間に、女の子が生まれ、グロリアと名付けました。キャプテンは何も言わずに1945年に去りました。 |
証言者 | フェリサ・スリアガ・パレルモ |
証言者属性 | フィリピン人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | Justice with Healing |
著者、公文書発信者など | The Lolas Para sa Kapayapaan at Kumpensasyon |
公文書宛先 | |
発行日 | 2007 |
発行所 | 私家版 |
ページ | 112-114 |
出典備考 | |
備考 |