出典種別 | 被害証言 |
---|---|
現在の地域情報 | 中部ビサヤ地方 東ネグロス州 タンジャイ |
資料にある地域情報 | 東ネグロス州、カツンガン村近くのコーマンシーの山 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | ネグロス・オリエンタル州タンジャイ市のルカという村で生まれました。・・・1942年になると日本軍は、私たちの町を侵略しました。・・・当時私は12歳でした。私たち一家はカツンガンという村にすぐ引っ越しました。・・・1か月ほどたった時、カツンガンにも日本軍がやって来ました。・・・その時、沢山の女性たちが日本軍に強姦され、そのうちの何人かはそのまま守備隊に連れて行かれました。そして彼女たちの何人かはその後殺されてしまったのです。・・・私たちはカツンガンを脱出し・・・コーマンシーの山の一番上の方まで登り、そこに住み始めました。1943年、私は13歳になりました。・・・日本軍の兵隊たち現れて、そして、私たちが家から出ると一斉に機関銃で撃ってきました。・・・あわてて逃げようとしましたが、日本兵に捕まってしまいました。私が悲鳴をあげると、日本兵は私の顔を殴り、お腹を蹴りつけました。そして、私から妹を奪いとり、泣き叫ぶ妹を連れて行ってしまいました。・・・兵隊たちは、次々と私を強姦しました。私はたったの13歳だったので、どうすることもできませんでした。 |
証言者 | パウラ・アティリョ(パウラ・アティロ) |
証言者属性 | フィリピン人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | アジアの声 第11集 私は「慰安婦」ではない 日本の侵略と性奴隷 |
著者、公文書発信者など | 「アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻む集会」実行委員会編 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1997.8.1 |
発行所 | 東方出版 |
ページ | 106-107 |
出典備考 | |
備考 |
※日本軍慰安所マップの地点としては反映させていない。
|