出典種別 | 公文書・軍関係資料等 |
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現在の地域情報 | ダバオ地方 南ダバオ州 ダリアオ |
資料にある地域情報 | ダリアオ |
慰安所があった時期 | 1942年6月9日 |
記載内容 | (6)歩兵第124連隊第7中隊のミヨシが所持していた手書きの日記(1941年12月8日から1943年1月6日まで)からの抜粋。 1942年6月9日。われわれは上陸した。古河拓殖会社の事務所はとても広く、また、たくさんの慰安所・・・がある。われわれは、中国南部を発ってから初めて、着物を着て、日傘を差している日本人女性を見かけた。・・・この女性たちは、従軍慰安婦として、われわれよりもひと足先に上陸していたのだ。われわれは、ダリアオの町に入った。そこは鄙びた町だった。大勢の日本人がわれわれを歓迎してくれた。・・・ |
証言者 | ミヨシ |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 歩兵第124連隊第7中隊 |
資料タイトル | 連合軍総司令部 翻訳通訳部局(ATIS) 調査報告No.120/日本軍隊における生活利便施設 報告第1483号 |
著者、公文書発信者など | |
公文書宛先 | |
発行日 | 1945.11.15 |
発行所 | |
ページ | 20 |
出典備考 | 吉見義明『従軍慰安婦資料集』1992.11.27、大月書店、p531/wam公文書サイト:K_L_RR120-2 |
備考 | 注:歩兵第124連隊は石橋や慶子らが追いかけていた部隊である。慶子らもダバオで慰安所を開設した。 |