記載内容 | この遜比拉河畔に周囲を赤い煉瓦塀に囲まれた、なんとなく妖しいムードの建物が二つ並んで建っている。孫呉第一慰安所、第二慰安所である。南孫呉は、北孫呉から4キロ南にある市街地で、北孫呉よりずっと賑やかだ。野戦貨物廠や野戦兵器廠、自動車廠、火力発電所、日赤などがその市街地の周囲に散在している。市街地には、大和ホテルや料亭、飲食店街、映画館などがあり、慰安所常盤とか、慰安所いろはとかいう民営の店も開いている。補助検閲官を終わって、3日ほどしたら、師団の週番士官を任命された。主計将校の週番勤務は、後方施設の巡察に限られる。例によって神田主計中尉は、新前にぼくのために、巡察コースの順序から、コツやらを細々と教えてくれた。「野戦貨物廠の次がいよいよ最後の慰安所だ。第一、第二とも25人ずつ、50名の慰安婦が、それぞれの個室を持って、兵の慰安業務を行っている。慰安婦はすべて若い朝鮮女性である」中尉はここで声を落として、「彼女たちは、女子挺身隊とか、女子愛国奉仕隊とかの美名で、朝鮮の村々から集められたらしい。18歳から23歳までの独身女性で、仕事は軍衣の修繕、洗濯等の奉仕であると説明されての強制徴用であるようだ。連れてこられて、仕事の内容を知り動顚するが、もはやどうするという自由はない」 |