出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 黒龍江省 鶏西市 密山市 |
資料にある地域情報 | 東安 |
慰安所があった時期 | 1943年3月 |
記載内容 | 11 軍慰安所 階級制度の徹底した軍隊では、厳しい規律生活による不満の吐け口を慰安所に求めた。そのため慰安所は、軍の配備に伴って満州各地に設置されていた。慰安所のない頃は、守備隊の兵士がその勤務中(立哨中)に通行中の現地婦女を犯すなどの事件があった。軍隊での規律と男社会の不満から、慰安所は日曜ごとに行列ができるほどの混雑で、「アリラン」調の替え歌が流れていた。慰安婦は朝鮮人婦女が多かったが、満州人や少数ではあったが日本人もいた。慰安所の部屋は床暖房・「オンドル」式の平屋建てで、長屋的だった。入ると、源氏名の名札が横一列に並んでいた。皆日本風の「○○子」という名前である。赤文字で一際目立つのは初店(初めて客を取ること)とのことだった。・・・夜になると、慰安所は下士官や将校用となった。彼らの多くは妻帯持ちのため営外居住をしていたので、一般兵とは違って門限がない。よって一般兵で混雑する昼を避け、夜間に集中していた。 |
証言者 | 栁澤清一 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 東安憲兵隊本部 |
資料タイトル | いのちへの伝言 ある憲兵の回想 |
著者、公文書発信者など | 栁澤清一 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1993.9.10 |
発行所 | 桐書房 |
ページ | 60-61 |
出典備考 | 注:奥付の経歴には「18年3月 関東軍要員として渡満。憲兵教習隊卒業後、東安憲兵隊本部勤務」とある。 |
備考 | 奥付の経歴には「18年3月 関東軍要員として渡満。憲兵教習隊卒業後、東安憲兵隊本部勤務」とある。 |