| 出典種別 | 被害証言 |
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| 現在の地域情報 | 黒龍江省 牡丹江市 |
| 資料にある地域情報 | 牡丹江 |
| 慰安所があった時期 | |
| 記載内容 | 17歳の時、伯母の看病の為に九龍浦に行きました。近所の雑貨店の奥さんから「紡績工場で人を募集している」と聞き、友達と行くことにしました。九龍浦を出発する時、女の子が1人来て、浦項でさらに4人来て、7人で中国に行けると喜びました。汽車に乗せられしばらくすると軍人が2人来て、女の子を3人連れて行きました。帰ってくると毛布を頭からかぶって泣いていました。牡丹江に着き、汽車を降りても、歩けない位気が弱っていました。待っていた軍馬車に乗せられ、降ろされた家の前には軍人が銃を持って立っていました。家の主人から「ここは軍隊が遊ぶ慰安所だ」と言われ、1人1部屋当てがわれ、「アヤメ」と名付けられました。毎日毎日、たくさんの軍人が来て、苦しくて、死ねる薬さえ手に入ればと考えました。サックを使用しましたが、破れることもあり、妊娠し軍隊病院で子どもを堕しました。そこには、20人位の女性がいました。解放後、朝鮮人の男性と結婚し、中国の黒竜江で暮しました。 |
| 証言者 | 李守山 |
| 証言者属性 | 朝鮮人被害者 |
| 部隊名 | |
| 資料タイトル | ある日本軍「慰安婦」の回想 2 |
| 著者、公文書発信者など | 吉見義明 |
| 公文書宛先 | |
| 発行日 | |
| 発行所 | |
| ページ | |
| 出典備考 | 『中央大学論集』第32号、2011.3、中央大学論集編集委員会、71-96ページ |
| 備考 | 現在の地図の黒竜江省南部に牡丹江市がある。 |