出典種別 | 被害証言 |
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現在の地域情報 | 黒龍江省 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | 東安省 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | ある日、日本人と韓国人が1人ずつ来て、戦死した夫の報償金が出たという。そのお金があれば暮らせると思い、子供を母に預けてついていった。いつ報償金をもらえるのかと聞くと、「牡丹江まで行かないと渡せない」という。清津を経て牡丹江へ行き、そこで別の人に引き渡された。他に若い女性がもう一人いた。そして、東安省に到着した。1942年22歳の時だった。そこは木もあまりなく山も低くてロシアに近いと聞いた。エンアイショウ部隊と呼ばれていて、小屋に両側20~30くらい部屋を作ってあった。軍人の相手をしないと閉じ込めて食事も与えず殴る。出るためには軍人を受け入れるしかなかった。私は器量が良くないし田舎臭いので軍人の人気がなかったので、掃除や食事の支度もさせられた。ある日私を指名した日本の兵隊がいて、その時妊娠した。妊娠したと殴られ、朝鮮へ帰らされた。 |
証言者 | チョン・ユンホン |
証言者属性 | 朝鮮人被害者 |
部隊名 | エンアイショウ部隊 |
資料タイトル | 強制で連れて行かれた朝鮮人軍慰安婦たち4 記憶で書き直す歴史 |
著者、公文書発信者など | 韓国挺身隊問題対策協議会2000年日本軍制奴隷戦犯女性国際法廷韓国委員会証言チーム |
公文書宛先 | |
発行日 | 2001.2.15 |
発行所 | プルピッ |
ページ | 153-164 |
出典備考 | |
備考 |