出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 東北部 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | 東北 七国 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 以下は七国であった慰安所の実態である。慰安婦は通常兵舎から2キロ位離れた所にあったが、年に何回かは兵舎の近くに急造のバラックを建てて、確か一週間ほど開業されていた。・・・一日5,600名の兵隊をわずか20人たらずの慰安婦が引き受けるのであるから商売とはいえ大変である。・・・私はやはり或る日、また小隊を引率して演習の帰路、兵舎から遠く離れた慰安所の前を行軍していたら慰安所から慰安婦たちが姿を見せ、手を振りながら「兵隊さん、休日にはまた来てね」と盛んに黄色い声をあげていたが、その中の誰かが「進クンソウさん、進クンソウさん」と呼んだ。クンソウは軍曹のこと・・・このアクシデントより3か月程前の休日にこの慰安所に行ったのである。私は勿論この種の所へ来るのは生まれて初めてであり、学生以来童貞であった。 |
証言者 | 進収三郎 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 父の戦記 |
著者、公文書発信者など | 進収三郎 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1989.11.29 |
発行所 | 朝日カルチャーセンター |
ページ | 70-75 |
出典備考 | |
備考 |