出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 吉林省 白城市 |
資料にある地域情報 | 東北地方 白城子 |
慰安所があった時期 | 1943年 |
記載内容 | 私は昭和18年に憲兵隊の学校を卒業しまして、チチハル憲兵隊の分隊である白城子の憲兵隊に着任しました。・・・当時白城子には、2つの慰安所がありましてね。1軒に30人弱の朝鮮人慰安婦がいました。みんな日本の着物を着せられてね。私が担当したのは1ヵ所だけです。毎朝私服でその慰安所に行っては、書類を集めるわけです。というますのは、兵隊は慰安所に行くとき、部隊が発行した割引証を持っていった。いわゆる利用券です。兵隊は黒、下士官は緑、将校は赤というような色分けしてあり、それにより慰安所の利用度を整理したんです。軍人は慰安所に行くと、まず受付けの料金所でそのチケットを出します。その慰安所のジャングイ(主人)は、朝鮮人の夫婦でした。ジャングイが受付に座っていて、そこでチケットを出して料金を支払うわけです。そのチケットを毎日回収するのが、慰安所係である私の仕事でした。なぜ、憲兵がそんなことをする必要があったのかということですが、一つには、軍機密漏洩を防ぐ目的があったんです。つまり同じ慰安婦のところに同じ兵隊がいつも行っていないかチェックする。馴染みになれば、ついつい気を許して部隊の話を口にしてしまう。そういう些細なことが、軍機密の漏洩につながることもあるわけです。ですから回収したチケットを見て、いつ、誰がどの慰安婦のところに行ったのかを調べ、もしたびたび同じ慰安婦のところに行くような者がいれば、部隊に通報して取り調べるわけです。回収したチケットを整理して、表を作っていました。 |
証言者 | 市川一郎 |
証言者属性 | 日本軍兵士・白城子憲兵隊 慰安所担当憲兵 |
部隊名 | |
資料タイトル | 日本軍「慰安婦」を追って |
著者、公文書発信者など | 西野留美子 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1995.2.11 |
発行所 | マスコミ情報センター |
ページ | 93-95 |
出典備考 | |
備考 |
『満州帝国分省地図』に、チチハルの南方に「白城子街」がある。敗戦後、部隊の収容を示す文書(アジア歴史資料センター:C13010251800の0976)と思われるが、吉林省西部地区の新京市の地点の表に、地点関連部隊として「興安憲兵白城子分隊」の記載があり、「白城子憲兵分隊」の存在が確認できる。テキサス大学図書館公開地図には「洮安(白城子)」と記されている。現在の地図で同所は白城市である。テキサス大学図書館公開地図は次のとおり。 http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/manchuria/txu-oclc-6614368-nl51-8.jpg |