記載内容 | 貧農の6人兄弟の長女に生まれた私は、幼心にお金儲けをして家計を助けようと思い、13歳のとき日本人が経営する光州紡績工場に機織工として就職した。幼い体に工場の仕事はとてもきつかったが、歯をくいしばって堪えた。1年後のある日、私と4人の娘が工場主に呼ばれ、見知らぬ背広姿の男についていくようにと言われた。山本と名乗ったその男は、石を掘ってお金をたくさん儲けるところへ連れて行ってやると言った。そこへ向かう途中家に寄ると、両親や弟たちが物乞いをしてでも一緒に暮らそうと言って、私を引き止めた。山本はむりやり私の手を引っ張ってトラックに乗せた。私がそれが父母兄弟との永遠の離別になろうとは夢にも思わなかった。中国の安図県ケソというところでトラックから降ろされ、山本に連れられて少しばかり歩いて行くと、豚小屋みたいに間を仕切り入口にむしろを掛けた建物が目についた。電気鉄条網が周辺に張り巡らされていた。私たちはそこで将校に引き渡され、部屋に連れ込まれた。部屋の中には私よりも年上の娘が数人いた。彼女たちは一行中最年少の私の年を聞いて、あんたのような幼い娘が体を汚されるのがかわいそうだと言って涙ぐんだ。14歳だった私は、彼女たちの話が理解できず、それはどういう意味かと聞いた。彼女たちはここは「慰安所」で、ここに連れられてきた娘たちは「皇軍」に体を汚される「慰安婦」だと言った。私は日本人にだまされたことに気づいた。将校たちは私たち5人を別々の部屋に入れた。・・・私の体には、毎日新しい傷がついた。私が幼かったせいか、可愛かったせいか知らないが、ほかよりも多くの日本兵がやってきた。かれらは言いなりにならなかったり、少しでも逆らったりすると、なぐったり蹴ったり、軍刀を振り回したりした。そして「おまえのような若いおなごは朝鮮にいくらでもいる。100にんでも200人でも連れてこれる」とうそぶいた。日本軍はちょっとのことで「慰安婦」を殺した。 |